ひきこもりという現象は、義務教育を含む就学、非常勤職を含む就労、家の外での仲間との交遊などの社会参加を避けて、一応6カ月をめどに、それ以上にわたっておおむね家庭にとどまり続けている状態です。
この「おおむね家庭にとどまり続ける」という状態には、他者とは交わらない形で外出はできる、たとえば人目を避けながら本屋へ行く、深夜にコンビニエンスストアに行くといった場合も含んでいます。
ひきこもりの始まる年齢は子どもから大人まで様々ですが、小学校以後の児童・生徒のひきこもりは「不登校」と呼ばれることになります。
不登校の子どものすべてではないにしても、その多くが青年期およびそれ以降のひきこもりと同じ状態と考えてよいでしょう。
なお、ひきこもりは原則として、統合失調症の幻覚や妄想をはじめとする症状(「陽性症状」といわれています)、あるいは意欲の減退や感情のみずみずしさを失っていくといった症状(「陰性症状」といわれています)などによって生じているひきこもり状態とは異なる非精神病性の現象と定義しています。しかし実際には、ひきこもりとされる人の中にそれと診断されてはいない統合失調症の人が少なからず存在することを忘れてはいけません。
それでは人はなぜ、ひきこもりになるのでしょうか。残念ながら、ひきこもりに一言でいえるような原因はありません。人は常に環境と自分のこころとの相互作用の中に存在しており、環境からのストレスとそれに対処しようとするこころの力とのバランスがとれていれば健康なこころの状態が維持され、そのバランスが崩れれば不健康なこころの状態に陥る危険が高まるということです。
このバランスの崩れはすぐに不健康なこころを招くわけではありませんが、バランスが崩れた状態が長く続けば、だんだんと不安や緊張が高まったり、精神的な疲労がたまっていったりします。それが一定の水準を超えれば、社会不安障害やパニック障害、あるいはうつ病性障害と呼ばれるこころの病気にかかります。大半のひきこもりはなんらかのこころの病気を背景として、社会活動の場にとどまることができなくなった状態ととらえるべきでしょう。
さて、このストレスとこころの力のバランスですが、たとえば学校や会社などでの活動量や内容が過剰にきついものであったり、そこでの人間関係がいじめのように過酷なものであったりすると、ストレスの量は爆発的に増大することになります。一方、たとえば幼い頃から内気で引っ込み思案であったり、保護者に依存し過ぎて、自分でストレスや現実の問題を解決する経験が過度に少なかったり、あるいはプライドが傷つくことに敏感すぎて、失敗や恥を恐れ過ぎたりすると、ストレスを処理するこころの力はどうしても減少します。これらはあくまで例にすぎませんが、このような理由が組み合わさって、ストレス量とそれを処理するこころの力のバランスが崩れるとひきこもりが生じやすくなります。
「不登校」とは、登校していないという意味であるが、「欠席」という用語が1日単位で用いられるのに対し、不登校という語は、ある任意(不特定)の時期について使われることが多い。
ただしこれらは、学校の通学課程(全日制の課程・定時制の課程など)の場合で、通信制の課程においては、一カ月から一週間に一日程度の面接指導日(出席日)が設定されているような例が多く、日常的に登校する課程ではないので、長期的なものであって、かつ、二者択一とした「登校・欠席」の類型には、当てはめにくい。
かつては不登校は小中学校を対象に使われていたが、現在では高校、大学についても使われるようになってきている。
学校制度がない時代は、一生就学しないままの例が大多数だった。学校はあっても、貴族や富裕層など、一部の人しか通えなかった。日本では寺子屋など、欧米では日曜学校など、類似機関はあったが、現代の学校のようなタイプの施設ではなかった。
日本では明治初期に学制が施行され、学齢児童の就学が望ましいこととされた。この時期から徐々に、まったく学校に通わないのこどもの方が少数派となってくる。ただし、就学率は少しずつ上昇したものの、やはり貧困などにより就学できなかったり、途中で学校に通わなくなったりすることが多かった。終戦直後も、混乱により就学できない場合があり、学籍があっても登校できない場合が多かった。これに前後して、A.M.ジョンソンが1941年に論文にて「学校恐怖症」という言い方をした。
しかし高度経済成長期以降は就学率が100%に近くなった。それ以降の日本社会では、6歳ごろに就学し、15歳から25歳ごろに学校生活を終える例が多くなっている。多くの人は、就職するまでは長い期間登校し、就職と共に非就学になる(ただし、大学進学経験者の場合、高校卒業から大学入学までに1年以上の非在学期間があることは珍しくなく、これは過年度生(浪人)と呼ばれる)。しかし1990年代に入ると、就学率は高いままであるものの欠席率が高くなった。
これらの現象は、日本では当初1950年代から報告され、「学校嫌い」や、1960年代ごろからは「登校拒否」とも呼ばれ、その後、折衷的な語を選択して「不登校」と呼ばれるようになった。また非就学者が学校教育を受けられない問題も並行して存在する。これらは次の段落で詳述している。
障害を持つ人の就学については、時代とともに改善されつつあり、現代では重度の障害があっても就学できるようになっている。1979年の養護学校の就学義務化を境に、就学猶予・免除される障害児は激減し、就学率は大幅に向上した。また、一般学校での特別支援教育の力も高まっており、以前なら養護学校(現在の特別支援学校の一部に相当)に通っていたレベルの障害でも、小学校・中学校に通うケースが多くなっている。また、院内学級の制度により、入院中でも教育を受けられるようになったり、場合によっては病院内に学校を設置して、こどもが教育を受けられるようになったりしてきている。発達障害がある生徒の場合、通常より長い教育期間のニーズがあるが、「高等学校」や「特別支援学校の高等部」などの後期中等教育の課程への進学率も高い。
欧米においては、19世紀ごろになると義務教育制度が作られ、就学率が上昇していった。しかし日本と違って、家庭教育(ホームスクーリング)のみで育つ例もそれなりにあった(代表的な例ではトーマス・エジソンなど)。そのため、就学義務ではなく、教育義務を履行するという選択肢がある程度市民権を得ていた。現在は欧米でも、学校制度の発達により、日本ほどではないが、大多数の人が学齢期に学校に通っている。
世界的に生涯学習の時代に入り、就職することと学校に在籍しないことが同一ではなくなり、また成年に達することと学校に在籍しないことも同一ではなくなりつつある。このため、就職中、あるいは高年齢になっても、学校に在籍する選択肢が検討されやすくなっている。
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