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 クンダリニーの上昇とチャクラの覚醒について 

                                                                                                                                                                                                               
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 ここに、私のクンダリニーの上昇体験や、チャクラが覚醒していく時の体験、及び、その後の様々な現象について記述したいと思います。ところで、様々な現象については、私自身が直接体験した事を事実に忠実に表現しているつもりですが、なにしろ、多種多様の現象が複雑に絡み合いながらであったため、必ずしも、簡単に理解ができないかも知れません。

しかし、もし貴方がクンダリニーの上昇や、チャクラの覚醒を志すのであるならば是非参考にして頂きたいのです。ただし、必ずしも、私の数々の体験現象とは一致せず、異なるのかも知れませんが、類似している現象が、体験としては必ずあるはずですから是非お役に立てて下さい。

 私のムーラダーラチャクラの覚醒について

平成五年春頃から、様々な色の強烈な光を見たり、感じたりする事が始まって、約半年後頃から始まったと記憶しているのですが、座禅を組み瞑想をしていた時、会陰部辺りが、そうですね、何とも表現が難しいのですが、むくむくするような、ピリピリするような、変な感じが始まったのです。

その後、尾てい骨辺りが音をたて始めたのです。そう、なんと表現したら良いのか、ゴツゴツと言うか、ゴトゴトと言うか、骨が動いてこすれるような、鈍い変な音がしていたことが何度かありました。「これはなんだ。」と言っても良いほど、本当に凄い音だったのです。

更に、暫らくたった頃から今度は、尾てい骨辺りから背骨にかけて、なにか隙間風のような、水のような冷たいものが、上下している感覚が一年半ぐらいの期間続いていたような記憶があります。後で考えると、この冷たい感じがクンダリニーの活動の始まりであり、上昇活動の始まりだったのかも知れないと思っています。

それから、腰の部分から背骨にかけて非常に冷たくなっていたのです。冷たさを例えて説明すれば、室温が三十度近くある部屋で、瞑想などをするために座禅を組み、腰の周りに毛布を何重にも巻きつけ、その上から布団を巻きつけても、異常に寒く感じていたと表現するような状態であったのです。

ですから、自分の場合には、多くの書籍などに書いてあるように、温かい感じがしていなかったのが印象的でした。ですから、全ての人が温かく感じたり、熱く感じたりするのではないのかも知れないのです。

クンダリニーの活動が始まったと思われる最初の頃は、下腹部が本当に冷たいという感じでしたが、瞑想修行を続けていくうちに温かさが増してきたので、これで一安心とほっとしていた事を思い出します。

後ほど、ある書物を読んでいたところ、この冷たい感じは、長い間トランス状態になっていた場合になりやすいと書いてありました。ところが、私の場合、そのようなトランス状態になっていた記憶がないので不思議に思っております。

その後暫らくして、マニプラチャクラとサハスラーラチャクラの覚醒が始まり、クンダリニーの上昇が本格的になった時に一揆に上昇していったのです。ところで現在であっても、意識をするとやはり、音はしませんが同じように感じる事は続いています。その他、表現が難しいですが、暖かいような、極端に内部の細胞が活動しているような、何とも不思議な感覚にもいつでもなっているのです。

 私のスワディスターナチャクラの覚醒について

眠りから覚め、ぼんやりとしてリラックスしていた時に、以前より下腹部辺りが異状に硬くなっていたのですが、その時は一層硬くなってきたのを感じていたのです。今日は、いつもより下腹部が更に硬くなっており、変な感じがするなと思っているうちに、そのスワディスターナチャクラの部分の表面に、内部より黒いもやもやとした雲のような塊がたくさん出てきたのです。

暫らく、その雲のような塊を観察していると、そのうち今度は、その下腹部の表面に大きな口が開き、自分自身の身体の大きさに比べて数百倍とも言えるぐらいの多くの黒いもやもやとした雲のような塊が、その開いた口からものすごい勢いで先に出ていた黒い塊と一緒になり、空中に放出していったのです。

その後、身体全体がどうしたら良いのかわからないぐらい、大変だるくなる感じの倦怠感と同時に、体温が急激に上昇し、身体全体の体内に熱がこもったように感じ、更に、全く我慢ができないほど異常に臭いに敏感になり、食事を取る事が大変辛くなると同時に、周りに存在する全ての物の臭いに対しても、異常に敏感になっていたのです。

暫らくして、その身体全体のだるさが取れ、体温が落ち着いてくると今度は、不思議と身体や気持ちがすっきりとしてきて、軽くなり、食事も美味しく取れるようになり、更に、いくらでも休まずに仕事ができるような気分になっていた事を覚えています。

しかし、後でよく考えると、その開いた口が閉じたのかについては、どうもあまり記憶になく現在でもよくわからないのです。また、夜など一眠りした後、ふと気付くと、必ずしも、霊であるとは断定できないが、この当時は頻繁に霊のようなものが見えたり、感じたりする現象もあった事を思い出します。

その後、瞑想などをしていると、大量にではありませんが、スワディスターナチャクラの部分辺りから、握りこぶし大の黒いもやもやとした雲の塊のようなものが、次々と連続して出で来るのは、何度も見たり、感じたりしています。

ところで、他のチャクラの場合には、様々な光りやエネルギーが、チャクラのあるとされる部分から直接出て行く事は勿論あったのですが、入ってくる事も勿論確認できているのです。ところが、ここのチャクラの場合には、出ていった事は確認ができているのです。

しかし、強力な光に包まれたことはありますが、様々な光りやエネルギーが入ってきたとの意識は、将来は別として現在のところはないようなのです。

ここのチャクラの場合には、アナハタチャクラの覚醒の始まりに放出した場合の物質のように、人の形状はしていなかったのです。この事を考えると、各チャクラによって覚醒する時の感じ方や、見えるものなどは各々特徴があると思われるのです。

 私のマニプラチャクラの覚醒について

 【神様は絶対あると真剣に信じる。そしてクンダリニーが上昇】のところでも書きましたが、身体中が辛く悩んでいた時に、マニプラチャクラ辺りの腹部の内部が最初に熱くなり始め、ボコボコと沸騰しているように音が聞こえ、そして、感じていたのです。

その後、例える言葉がないほどに、その腹部の内部が高温になって、異常と言うほどお腹が張ってきたのです。その次は、その内部が真っ赤になって見えてきたのですが、その真っ赤な部分が今度は、最初は小さな炎であったのですが、段段と大きくなって、真っ赤な炎をあげながら燃えるのが見えてきたのです。

その炎が、今度は、腹部を突き抜けて外部まで吹き出てきたのです。その後、腹部の内部も、外部も、真っ赤な炎の海のようになっていったのです。その後暫らくすると、真っ赤な炎が青白い炎に変化をしていったのです。

その後今度は、その青白い炎が身体全体を包み込み、更に、身体全体の内部からも、青白い炎が噴出してきたのです。その時私は、身体の中に滞った、そして、汚れている自我やエネルギーを燃やし尽くしているようにも感じたのです。

その青白い炎を暫らく見つめていると、今度は、透明に近い炎となって暫くの間燃え続けていたのです。その現象は、時間にしてはっきりしている訳ではないが、約二時半〜三時間は続いていたと記憶しています。

ただし、私としては、この二時間半〜三時間の時間は、あまりにも劇的であり不思議なことのため、途方もない程の時間として感じている事も事実ですので記述しておきます。

その後、クンダリニーの上昇と思われるが、身体の中心部を上下方向に、火柱と言うか、炎の柱というかが立ったような現象状態になったのです。その時、身体がこの炎により、焼き尽くされてしまうのではないかと大変不安になっていた事を思いだします。

 【私の病気の体験から】のところでも記しましたが、このチャクラが最初に活動を始め、覚醒したように私は感じているのです。そして、マニプラチャクラに関係のある脾臓系も正常に機能する状態になり、脾臓系に属する胃や腸の機能も優れようになり、下痢や便秘も改善してきたのです。

チャクラの覚醒はその方の、働きすぎる特徴のある部分から、覚醒する事も、この事実から判明するようなのです。もし覚醒が始まるとすれば、特徴のある部分からと思っていると良いのではないでしょうか。

 私のアナハタチャクラの覚醒について

眠りから覚め、ぼんやりとしてリラックスしていた時、以前より時々胸元が何かに押さえられているように感じる事や、変な圧迫感のある痛みがあったのですが、(今日はいつもより胸元が何かに押さえ付けられている感じが強いな、それと、いつもよ胸元がなんだか痛いな。)と思っていた時、あれ何だ、おかしな声が聞こえていると聞き耳をたてていると、数千人とも思えるような人々の声が一斉に聞こえてきたのです。

その時の驚きは、表現する事が難しく、どのように表示したら良いのかわからないほどであったとしておきます。

その直後、胸のアナハタチャクラの部分に観音扉を開けたような大きな口が開き、そして、内部より空中に、自分自身の身体に比較して数千倍と表現してもよいほどの量で、それこそ、言葉では言い尽くせないほど大量の黒っぽい色をした塊が、列をなして勢いよく遥か遠くの方まで飛んでいったのです。

その塊に注意をして見ていると、なんと、不思議であろうか、その塊の正体は、真っ黒ではあるが、人間の形をしたものであり、極小さいものの集合体ではないか。この塊は、自分の中に潜んでいた自我や、ストレスの元ではないのかと考え込んでしまった事が思い出されます。

今度はその直後に、本当に綺麗な様々な色をした光の塊が、口の開いたアナハタチャクラの部分から勢いよく、これまた大量に入ってきたのです。光の塊が勢いよく入ってきたのと同時に、身体中が何とも言えないぐらい興奮をし、それと、嬉しくて、嬉しくて、押さえ切れなかったような気がしていた事を思い出します。

その直後今度は、身体全体がとてつもなく熱くなり、しかも、壊れてしまうぐらい勢いよく、本当に激しく身体のどこと言わず全てが勝手に動き出し、恐怖に刈られていた事が記憶にあります。ただ、その開いた口が閉じたのかは、スワディスターナチャクラと同じで、どうもあまり記憶になく現在でもよくわからないのです。

【私の病気の体験から】のところでも記しましたが、私は、多くの方々を喜ばしたいと、ボランテアの意識や誠心で、薬剤師の先生の所へ、勉強も兼ねながらであったが、病気で悩んでいる方々を連れて行ったり、私の住んでいる福島県に先生を招き、多くの方々を診て頂いたりしていたのです。ですから、この事を考えると、私のアナハタチャクラにも、元々の性格としての特徴があったようなのです。アナハタチャクラの性質や特徴は、愛に関する場合と攻撃に関する場合の二面性を持っているのですが、私の場合には、双方の面を持ち合わせていると思われるのです。

チャクラの覚醒は、その方の働きの特徴ある部分から覚醒する事も、この事実から判明するようなのです。ようするに、愛のあり方が最も大事なのです。

この件でもわかるように、もし貴方が本当に病気から開放されたいなら、そして、チャクラの覚醒や、クンダリニーの上昇を試みたいなら、私の行為や心のあり方を見習うと良いのではないでしょうか。ただし、あまりにも単純ではあるが、簡単なようで簡単ではないので付け加えておきます。

 私のヴィシュダチャクラの覚醒について

最初の頃は、瞑想をしていた時、喉の辺りが不思議な感じ、そうですね、表現が難しいですが音をたて始めたのです。何と言ったら良いのか、ゴツゴツと言うか、ゴトゴトと言うか、骨がすれるような、鈍い変な音がしていた時期が十日間ぐらいありました。本当にすごく低く響く音だったので不気味な感じがしていたのです。

平成五年春頃から、様々な色の強烈な光を見たり、感じたりする事が始まって、約三年半後頃から始まったと記憶しているのですが、一眠りして、ふと目を覚ました時とか、瞑想をした時とかに、心が鎮まりリラックスした状態になると、喉の奥の方から、あるいは、腹の底からと思える場所から、大変大きな声なのか音なのか、言葉と思えば思えるような、うめき声のような変な音声が、しかも、その音声は、約四年間の長期に渡り毎日何度もと言っても過言でないほど続いていたような気がしています。

その声と思われる音声に聞き耳を立てていると、何処かの国の言葉であるようでもあるし、確かにリズムがあるとも感じられ、これは、話しをしていると理解してもいいのではないかと思えるのですが、全く聞いた事がない原語のようでもあり不思議でならなかったのです。

そこで、もっとよく聞いていると、よく言われるマントラのようでもあり、ヒキガエルが話しをしているようにも理解でき、更には、宇宙の言葉とも取れ、理解に苦しむ事だらけであった事が思い出されます。

最も、悩んだ事は、その声らしき言葉を、意識して止めようとすると止まるのですが、暫らくして、再び、リラックスしている状態になると、その声と思えるものが以前と全く同じく勝手に出てくるので、夜の場合などぐっすりと眠る事ができず寝不足になり実に困った事を記憶しています。

ところで、その声らしきものの大きさは、普段の話し声と比較すると、遥かに大きい音声であったために驚いていたことも事実なのです。それと、また、その当時はすごく息苦しくなり、喉の詰まりが長期間に渡りあったような記憶があります。

後日、平成十一年末頃の朝方に、神棚の前で瞑想をしていると、他の方々が聞いていたら、あいつは、気が狂ったと勘違いされるように、大きな声が、再び、うめき声や叫びのように出てきたのです。その叫びの大きさを例えれば、百mの距離が離れていても聞こえてしまうほど大きな声と思えるものであり、驚かずにはいられないものだったのです。その大声らしきものが出ていた時間は、約三十分程度の長時間であったため驚かずにはいられなかったと記憶しています。それと、その大声が出た時に、これまでに悩んでいた大変辛く、息苦しかった喉の詰まりが改善してしまったのです。

その後、言葉と思えば思えるような変な声が喉の奥の方から出たり、腹の奥から出たりする事がある事はあるのですが、本当の意味で少なくなり、本当にすっきりとした感じになったのです。ところで、様々な音声によるマントラを唱える事により、各チャクラが早く覚醒すると言われている訳ですが、この事を考えると、無理をしてマントラを唱える必要がないのではないかと思われるのです。

むしろ、マントラを唱える事により、急激な変化に追い付いて行けずに起こってしまう偏差現象の重大さを考えれば、なお更と思われるので、マントラを唱える事に対しては注意が必要と思っています。ここのチャクラにおいても、ムーラダーラチャクラの時と同じで、後日になって黒い雲の塊のようなものが、頻繁ではないのですが出ていった記憶があります。

ところで、手かざしにより治療をする場合には、アナハタチャクラの能力にて治療をすると、他の書籍などには書かれている事が多いのです。しかし、私が治療中に感じる事は、アナハタチャクラの能力にて無理と思われるお客様の場合には、ここのチャクラにも変化が現れるのです。従って、ここのチャクラも、やはり、病気の治療に関係していると思われるのです。

 私のアジナチャクラの覚醒について

ここのチャクラについては、覚醒して口が開いたと言う衝撃的な自覚が現在のところないのです。ただし、とてつもない、そうですね、太陽が千個一度にとは言えないまでも、とにかく強烈な光りが、直接額の部分めがけて入ってきたように幾度となく感じた事はあります。その度ごとに、この体験はもう衝撃はあるし、恐ろしく怖いので、避ける事ができるなら避けたいと思うぐらいの恐ろしさがあった事を思いだします。

その時なぜか、透明に近い白い強力な光を見た場合には、最初に下痢があり、暫らくすると今度は、下血が非常に激しくあり、驚いていた記憶があります。その下血があった場合などには、あまりに大量であるため、便器が真っ赤になると言っても言い過ぎてはないほど大量の下血であったので、今現在になって思い出しても、背筋が凍るように鮮明に思い出します。

また、強力な光のエネルギーが入ってきたと思える時や、強力な光を見た場合など、更には、強力な光りに自分自身が溶け込んで和合し、一体となったように見えたり、感じたりした場合などには、身体が不思議なほど熱くなる現象や、全身が激しく動き出すこと、表現の方法がないほどの安堵感と、幸せ感があることなどについては同じくあるようなのです。

この部分、アジナチャクラは、大変感じやすく意識などを致しますとすぐに、なにか空気の幅の広いベルトを巻いているような、しびれているような感じがしてきます。また、この部分にて、色々な映像などもまた見ているような気が致します。更に、なんと表現したら良いのか迷いますが、目には見えていないのですが、何かの力が無理やりに入ろうとしているように圧迫感を感じることは、少しの意識をした場合であっても感じてくるようなのです。

ところで、よくアジナチャクラのところが覚醒すると、霊とか神様などの声が聞こえると多くの書籍などには書かれています。その霊とか神様などの声と思われるものは、毎日のように聞こえるのでありますが、霊とか神様などからの声と思えるような声は、どうも、この部分かサハスラーラチャクラから聞こえてくるようなのです。

その声と思えるものは、はっきりとして聞き取れるのですが、遠くからこだまするような、響くような感じに聞こえてくるのです。聞こえてくるというより、感じてくると表現したほうが正しいのかも知れないような気もしているのです。

なぜなら、聞こえてもくるのですが、それと同時に、意識上や心の中にも感じてくると表現しても、正解であると思えるのですから不思議でならないのです。また更に、私が何かの答えを求めようとして、意識上にて問いただすと、確かに返事がささやくように聞こえると同時に、心の中に浮かんでくる場合もあるのです。この場合は、ささやくように聞こえ、更に、意識上に感じてくるのであって、はっきりと音声として聞こえてはこないようなのです。

しかし、私に対して音声として聞こえてくる限りでは、どうも、霊とか神様などの声ではないのではないかと解釈しているのです。私の場合、今のところ、色々と多くの声が聞こえますが、ほとんどが自分自身を戒める内容で、自分自身の心の奥から内なる声として聞こえてくるような気がするのです。例えば、「修行がまだ足らない。」とか、朝起きるのがあまり遅かったりすると、「こら早く起きろ。良い天気だぞ。」「こっちの方が良いぞ。」などと、聞こえてくるのです。なぜかなと、自分なりに自問自答してみますと、どうも、霊や神様ではなく、自分自身の奥に秘められた記憶や願望、自我などの意識ではないかと推測できるような気が致します。

確かにささやくように聞こえてくる場合には、もっと広い意味での答えであるようなのですが、現在のところ、完全なる確信を持っている訳でもないのでここでの記述はさけます。ただし、もっと瞑想修行が進んでくると、私自身の考えや感覚も変化すると思います。また今後、全く変化してしまうのかも知れませんが、今現在ではそのように解釈しているのです。後日変化があった場合には、他の機会に発表をしたいと思います。

ところで、よく犯罪者が神様からの命令が聞こえたので、罪を犯したと応える場合があります。その場合であったとしても、間違いなく聞こえていると判断したとしても、間違えではないと思われます。ようするに、いつも心に思っていた自我の意識が、自分の自我に語り掛けてくるものと思われるのですから、常日頃の心のあり方や、意識のあり方が大事なのです。

常日頃から、他人を恨んでいたり、攻撃をしたいなどと意識していると、現実として実行されると思われるのですから最大限の注意が必要なのです。ようするに、願望が達成されるのです。この件と同じように、病気などの場合も願望が達成されるのです。

それから、自分の身体から意識が外れた場合に、感じたり、見えたりするのは、そう、一瞬の間に数千キロメートルも飛んでいったり、元いた場所に瞬時に戻ったり、自分の希望する時代や場所に行ったりできるのです。そうですね、自分の子供の頃は何をして遊んでいたかなどの様子や、人類がこの世に誕生する以前と思えるような場合もあります。

一般的な常識では計り知れないのですが、行ったり、見たり、感じたりもすることができるのです。それはどうも、自分自身の脳内に、生物の遺伝子として何代にも渡り記憶された部分を、見たり、感じたりしているようにも思えるのです。

その際、全く距離や時間に左右される事がなく、本当に自分自身がその物質や動物自体になったように、そうですね、普通肉眼で見た場合にはっきりしているように見えますが、それなどとは比較にならないぐらい、もっとはっきりと識別、そして区別でき、感じたり、見えたりするのです。

その際、意識をすればどのようなものとも同化することもでき、その同化したものが自分自身のようにも感じ、そして、その同化した自分自身の意識のようなものからも、周りに存在するものや状態が判別でき、また、意識上にも、感じることも、見ることもできるのです。このように表現すれば納得がいくのではないでしょうか。事実そのように感じるのですから、理解をすることは中々難しいと思います。

最近では、瞑想などをしていると意識が外れる事がなくても、色々な映像が見えるようになってきています。更には、寝床に寝ようとして横になり、目を閉じて、リラックスした場合や瞑想を始めようとして目を閉じた場合などには、すぐに、自分自身の肉体が消え去ったようになり、意識だけになるので、自分自身がどのような姿勢にて寝ているのか、それとも、座っているのか等がわからなくなっているのです。

その後、一瞬にして意識が消え去り、様々なものが見えたり、感じたりするのです。現在では、想像異常の恐怖感は感じませんが、最初の頃は、一瞬にて意識が消え去る時の恐怖感は絶えがたいものであったと記憶しています。

その一瞬に意識が消え去る時、自分自身の意識は勿論、形あるものも、形がなくて見えないものまで全てが消えるのです。全てが消えるとは、宇宙全体が一瞬に消え去るように感じるのです。よって、想像する事ができないほどの恐怖感があるのです。そう、この世のもの全てが一瞬に消えたと感じるのです。

その事を簡単に言ってしまえば、自分も一瞬に消えると感じるのですから、死んでしまったと錯覚を起こすぐらいの恐怖感なのです。従って、死を恐れているうちは、この恐怖感には耐えられないのかも知れないのです。

現在では、この額の部分に、自分の目の三倍ぐらい大きな目の形状と類似しているようなものが見え、その目の形状と類似しているようなものの中から、目には見えないのですが、色の付いていないエネルギーのようなものが、回転をしながら出たり、入いったりしているものが見えたり、感じたりする事があります。

その他に、意識をすると、自分自身の意識事態をここと意識した場所に送ることができるようにも感じられるのです。不思議ではあるのですが、最近ではそのような気がしているのです。

また、色々な映像や光を見たり、感じたりした場合には、その都度、身体中不思議な嬉しい感情と言うか、とてつもなく、不思議な感じになるのも実に多いのです。自分自身の身体はおろか、周りまでも強力に輝く光に包まれ、そして、輝き出すのも、やはり、この部分が関係しているような気が致します。ですから、ここのチャクラを第三の目などと呼ぶのかも知れないのです。

 私のサハスラーラチャクラの覚醒について

マニプラチャクラの活動が活発に始まり、そして、炎が噴出してきて覚醒が始まったと認識したのですが、その後、ほぼ落ち着いた直後にクンダリニーの上昇が起こったのではあるが、そのクンダリニーの上昇現象後、表現の方法がないほどにほっとしてきて安堵感が生じ、嬉しくて気が抜けたようになり、更には、意識が飛んだようになり、その後、ふと気が付くと、頭の上面背部周辺に大変気持ちが良い暖かさを感じたのです。

なぜに暖かく気持ちが良いのかとよく観察し、よくよく意識すると、仏陀やキリストなどの背後上面などに描がかれているような、円形状の大きな輪の形状をした光りが、私の背後上面にも、同じように、しかも、金色に光り輝きながら見えたり、感じたりしていたのです。この光は、何度も見えたり、感じたりもしているのですが、この円形状に見えたり、感じたりする光りの場合には、他の様々な強力な光りや、その他の光り輝くものを見た場合や感じた場合と比較すると、全く比較にならないほどの幸福感と安堵感があり、何とも表現をする事ができないものである事を述べておきます。

これはもう、例えるものがないぐらい気持ちが良いと暫らく味わっていると、今度は、頭の天辺、サハスラーラチャクラの部分に突然、大きな口がイソギンチャクの頭部が開いた状態に似た形状に開き、その中から手筒花火に火を付けたように、最初は少しの量であったのだが、段々と多くなりながら、大変きれいな様々な色の付いた炎が噴き出した状態になって見えたり、感じたりしていたのです。

その後、暫くすると、その炎で筒のような形状になった部分が、炎を頭部上面上空に噴出しながら、気が遠くなるように、本当にゆっくりと徐々に時間をかけながら、下腹部のスワディスターナチャクラのところまで下がって行ったのです。

私としては、この現象もやはり、クンダリニーの上昇の変形したタイプに間違いがないと確信したので、いっその事、クンダリニーの上昇の時と同じにように、下方にも突き抜け、そして、伸びて行ってくれないかと意識をしながら、心を鎮め、願っていると、今度は、下の方向にも伸びて行き、最下部のチャクラ、ムーラダーラを突き抜けていったのです。

その後、クンダリニーの上昇時と同じで、表現のできないような嬉しさがこみ上げ、表現に困るような大変なる興奮をしていたのです。そのうち、クンダリニーの上昇時と同じように気が遠くなり意識を失ったようになったのです。

その後、ほとんどが、クンダリニーの上昇時と同じであったのだが、ふと気が付くと、私は地球の遥か遠くの宇宙空間に横になり、浮いている状態に見えており、そして、感じたのです。更には、地球は、遥か下側にサッかーボール大の大きさに見えていたのです。その時の地球の輝きは、青く透き通った色にて輝いていて、これまた、表現が難しいほどきれいであったとしておきます。

他の無数に存在する星も、握り拳大であったり、様々な大きさなのですが、やはり、透き通ったような様々な色にて輝いていたのです。全く不思議で理解ができないのではあるが、私はそのように感じたのです。その時、自分の身体の意識は、地球の数百倍もあるように大きく見えたり、感じたりしていたのです。この様々に見えたり、感じる際には自分自身の肉体はなく、理解に苦しみますが、透明人間にでもなっているように見えたり、感じたりもするのです。

また更に、その炎のような筒の柱が、私の身体に比較して、絶対にこんな事があるはずがないというように、非常に太く上下に何万キロメートルもあるかのように、途方もなく長く伸びて見えたり、感じたりしていたのです。非常に太くとは、自分自身の身体も、とてつもなく大きく感じるのですが、その身体と比較しても、絶対にあるはずがないのであるが、身体の意識より太く見えたり、感じたりしていたのです。

その現象が、宇宙空間に浮いている状態と地上にいる自分が一緒に見えながら、そして、感じるのですから、理解するのにも無理があるのかも知れないのです。しかし、私自身は事実そのように感じたのです。

そうですね、マニプラチャクラの覚醒が始まってから、この現象が終了するまでの時間は、約七時間半前後の体験であったと記憶しています。ようするに、そのような理解のできない、そして、得体の知れないような様々な現象体験が一晩中続いていた事になるのです。

そのクンダリニーの上昇の変形タイプ現象があった後に、神様に直接遭った感覚になったり、神様からの声と思われる声が聞こえ出したり、全てが神様からの贈り物のように自覚したり、嬉しくて、嬉しくて涙が出て止まらなくなったり、愛とは、自然とは、神様とは、宇宙とは、何であるかの意味がなぜか理解する事ができるようになってきたのです。

た、様々な光りの体験や幽体離脱、身体が激しく動く事や、訳のわからない声のようなものが出たりする様々な体験については、より一層現象として現れ易くなり、頻繁に起こったと記憶しています。そのようなでき事があった以後、体もすこぶる快調になり、更に、一段と病気の治療をしたり、癒をしたりする能力が増してきたのです。

このサハスラーラにも、そうですね、太陽が千個一度にとは言えないまでも、とにかく、強烈な光りが直接頭頂部の部分めがけて入ってきたように幾度も感じ、また、見た事があります。その度ごとに、この体験はもう衝撃はあるし、恐ろしく怖いので、避ける事ができるなら避けたいと思うぐらいの恐ろしさがあった事を思いだします。

それと、アジナチャクラの時と同様に、下痢と下血が非常に激しくあり、驚いていた記憶があります。その都度、大変恐ろしく感じていたのですが、そのうち習慣になり段々と慣れてきて恐ろしさもあまり感じなくなり、心も、身体も、嬉しい感情というか、安堵感のような、しびれたような不思議な感覚になったり、また更に、リラックスなどをしたりすると、激しく身体全体がガタガタとところかまわず勝手に動いたりしていたのです。

ここのチャクラが覚醒すると、霊とか神様の声が聞こえるとされていますが、私が現在理解できる事は、私のアジナチャクラの覚醒についてのところでも述べているので参考にして頂ければ幸いです。

この部分も大変感じやすく、意識などを致しますと、すぐに、むずむずと言うか、ピリピリと言うか、エネルギーと言うか、何かが回転しながら出入りしているのが感じられるのです。また、アジナチャクラと同じで、空気の圧力と言うかよく理解できないのですが、圧迫感があり、更に、意識も意識した場所に自由に送ることもできるような感じになっている気もするのです。

 

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